MINDMASTERY

Life is yours.

人生観「善悪とは」

これは思考の放棄に聞こえるかもしれないが、善悪なんてものはない。

というのも、1か0かという二元論で片付けるにはあまりに大きすぎるのだ。

異なる視点から分析し、心に耳を傾ける。傾聴である。

これは、善悪だけでなく、正義と悪、良し悪し、全てに通じるものだ。

学術的な話においても、政策においても、そうである。

答えというものは人の数だけあるのだ。そして、答えは一つしかないということもできる。

まてよ、それは矛盾だ。と思うかもしれないが、世界は一つしかない。答えも、真理も全て一つしか存在しない。なぜなら、私の生きている世界とあなたの生きている世界は全くもって別物なのである。

理解できるだろうか。できないであろう。これは理解を超えたものである。

つまり、私が言っていることはあなたにとって全て違うということである。まるでパラドックスである。

答えは一つである。これは私の答えであって、あなたの答えではない。

頭がねじれて、おかしくなるのを感じるか。感じるだろう。これが真理に近づくときの感覚である。

面白いだろう。

人生観「世の中に散らばるヒントの数々」

The Beatles。

ワンピース。

ジブリ。

世の中に溢れるクリエイターの数々とその作品達。

まさに芸術である。その美と真理に気づけないことがいかに悲しいことか。

世の中はまさにロマンの塊なのである。

忙しくてそんなことに時間を裂く暇はねえんだよこの若造と、

そう思うかもしれないが、それは違う。

あなたは逃げているんだこの世を理解することから。

深層心理の中では確かに感じるはずだ。何かが違う。何かが欠けている。

このムズムズする感覚はなんなのかと。仕事や遊びでその思考をかき消す。

数ある世界の貧困問題や環境問題、人権問題から目を背ける。

個人では何もできないと決めつける。それは違うぞと。

未来は変えられないと嘆き、励まし合う毎日。

自分はなんてダメなやつなんだと自己否定をする日々。

それは違うぞと。そう言いたい。

まずは、外に目を向けてみよう。

凝り固まった目が開く時、

 

 

 

世界はひっくり返る。

 

人生観「選択の基準」

人生は選択の連続であると誰かさんは言った。

 

Aという選択かBという選択か、どちらを選ぶのか。

選択は選択後の未来を想像して行われる。損をするのか得をするのか?

結果は誰にもわからない。じゃあどっちを選べというのか。私がするのはやる後悔かやらない後悔か、リスクをとるかとらないかということである。

 

選択はいつも異なるリスクを比較するということである。さて、どうする。ローリスクハイリターンなものは稀である。ここで考えなければならないのは、個々によってリスクの定義が異なるということ。ある人にとっては、安定を失うことがリスクであり、自由を失うのが1番のリスクであるという人もいれば、お金が思考の中心にある人もいるだろう。

そしてどれか一つのリスク価値感だけを持っていることはかなり稀であるだろう。

つまり、異なるリスクの眼鏡を通じて選択を選択しなければならないのだ。

こうやって、小さく分類していくと思考は曖昧なものから形あるものに変わる。

よって、誰かに選択を強いられたときは思考を言語化し、視覚化するとわかりやすくなり真理に近づくことができる。あるいは、誰かの選択を後押しするときは分析を行うのが最善だと言えるだろう。とは言っても、私がすることは少し違う。論理と直感をバランス良く持ちたいのだ。いずれ、直感とは何かということが理論物理学や、量子学によって解明される日が来るだろうか。

 

話を戻して、私は人生において選択をするとき、死にゆく時を想像する。その時に今しようとしている選択をどう思うか想像するのである。空想の世界である。私と同じようにしろというつもりはないし、答えは自分自身の中にある。いくら自己啓発本を読もうが、尊敬する人の話を聞こうがそこに答えはないのだ。

 

人生観「序章」

なんでこんなに息が詰まりそうなんだ。

20歳の今、こんな事を感じる。幼稚園に通い、小学校に通い、中学校に通い、高校に入学し、大学に入った。高校時代は、カナダに1年間留学した。世界の広さと日本という国の閉鎖性、世の中の あらゆる社会構造の違いを肌に感じた。今現在イギリスの大学に留学中であるが、また異なる歴史文化に大きく影響と感銘と失望を感じている。

世の中には世界の広さと多様性を知らずに死んでいく人の方が多い。

毎日同じ時間に起き、同じ道を通り、同じ仕事をこなす。なんて退屈なのだろうか。

私には到底理解できないことがある。それは違和感も感じず毎日を過ごしている大人達である。きっと若い頃は反骨精神や希望や夢があったんだろう。でも今は、他人のために、金のために、子供のために、上司のために生きる。社会システムの言う通りのレールに乗っかる方が楽で安全で気が楽なんだろう。死んだ目をして下を向き毎日を歩く。死ぬ前には何を思うのか。もっといろんな事をしていれば。もっと他人を愛し、自分を愛せていれば。そんな事を思うのだろうか。

こんな風に息の詰まるような思いをしているのは私だけなのだろうか。

そんな思いから思考をここに残すことにした。